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 日本の食文化を語る上で不可欠な食材、マグロ。寿司のネタとしてはもちろん、ツナ缶の材料としても重要な水産資源です。2mを超える巨体と大洋を渡るその生態は私たちの興味を引き付けてやみません。しかしながら、近年その資源状況の悪化から、持続可能な利用と資源の管理は国際的な議論の的となっています。私たちの研究室は日本周辺に分布するクロマグロやキハダ、ビンナガをはじめとするマグロについて、小型記録計を用いてその回遊生態について調査しています。また、環境変化がもたらすマグロ資源への影響を調べるため、クロマグロの卵や仔魚、耳石などの化学的解析をもとに研究を行っています。



1.太平洋のクロマグロ(Thunnus orientalis)の回遊生態


 クロマグロは世界的に重要な漁業資源であるマグロ類のなかでも、その優れた肉質や経済性が注目を集めています。(写真1)。日本においても年間1万トン以上が漁獲されていますが、わが国の太平洋産クロマグロの漁獲高は1970年代から減少の一途を辿っています。第一のマーケットである日本としてマグロ資源の管理は非常に重要な課題です。大洋を回遊するクロマグロの国際的な資源管理を可能にするためには、本種の回遊生態を詳細に把握することがこれまで以上に必要になってくるでしょう。わたし達の研究室では、小型記録計(アーカイバルタグ)(写真2)を用い、本種の行動を研究しています。クロマグロの温帯域への適応機構を解明することを目的とし、北太平洋における未成魚の回遊行動を小型記録計により測定しています。個体が経験する海洋環境を連続計測し、遊泳行動と、それに影響を及ぼす物理・生物環境要因を明らかにしようと試みています。

 東シナ海においてクロマグロは、冬季の夜間には表層混合層内の表層を、昼間はより深い水深を遊泳する日周性を示します(図1)。水温成層していた南西海域まで数個体が大きく移動しており、それらの日周性がとくに顕著であったことから、躍層の発達が遊泳水深の日周性を引き起こす要因であることが分かりました。また、三陸沖へ移動した個体は、暖水渦中を滞留しています(写真3)。この海域では、東シナ海ほど水温成層は発達していませんでしたが、本種は表層を遊泳する傾向が強く、東シナ海の個体に比べ潜行頻度は有意に低いことが認められました。また、摂餌に伴い体温が一時的に低下することを利用し、摂餌頻度を推定した結果、三陸沖の個体は、東シナ海の個体に比べ昼間により多くの摂餌を行っていたことが判明。このことから、本種は東シナ海では水温躍層以深で索餌しているのに対し、三陸沖では主に水平移動することで索餌していることが分かっています(図2‐1、図2‐2)。このように、小型記録計がもたらすデータにより、空間的・季節的な環境水温の鉛直構造の変化が、本種の鉛直行動を規定していることが分かってきました。


写真1 クロマグロの回遊 写真2 小型記録計(アーカイバルタグ)
図1 東シナ海におけるクロマグロの遊泳深度 写真3 三陸沖へ移動し、暖水渦中で滞留する
クロマグロの衛星写真
図2-1 東シナ海におけるクロマグロの索餌 図2-2 三陸沖におけるクロマグロの索餌


2.マグロ類の体温保持機構


 クロマグロの体温は、基本的に水温よりも高く保たれています。水温が低くなるにしたがい体温と水温の差が大きくなる傾向が見られました。数理モデルから、体温保持には熱的慣性や高い産熱速度が重要であることが分かっています。その産熱速度を計算したところ、クロマグロは他の魚類とは異なり、哺乳類並みに高い値であることが分かりました。つまり、摂餌のために水温躍層下の低水温環境へ移動する際、ごく短時間であれば腹腔内温度を維持できることが分かってきています。しかしその反面、一旦下がってしまった体温を環境温度まで瞬時に回復させる能力は劣っています。(図3)、そのため、基本的には表層に滞在し、摂餌のために冷水温域に侵入するといった行動的体温調節を行っていることが推察されます。また、鉛直行動は日照量にも左右され、照度が低下する日は鉛直移動頻度とこれに伴う体温変動が減少することも分かりました。

 体のサイズの大きい個体ほど体温と水温との差が大きくなる傾向にあります。しかし、温度差の増大する割合は成長に伴い小さくなり、平均体温が30℃を越えることはありません。数理モデルにより、成長に伴い体の断熱性が増大する一方、産熱速度は減少することが示されています。その結果、体温が致死温度には至らず、成長しても温帯域で活動することを可能にしており、ひいては本種を魚類の中で最大級にまで成長させる要因のひとつとなっていることが分かりました。

 現在、熱帯域に生息する大型マグロであるキハダ(T. albacares)についてもその回遊機構を解明すべく、同様に小型記録計での調査・解析を行っています(写真4)。


図3 マグロ類の体温の回復時間(シミュレーション) 写真4 キハダへの小型記録計取りつけ


3.海洋環境の変動がマグロ類に与える影響


 太平洋に広く分布するクロマグロは、北緯30度より南、黒潮の東側にその産卵域を持っています。南西諸島付近では5月から6月にかけて、6月から7月には本州南岸沖に、そして7月から8月には日本海で産卵が行われることが分かっています。クロマグロは表面水温25度から26度、水温躍層が50m以浅の水域で産卵します。クロマグロの分布域に比べると、その産卵域は非常に限定されたものであることがわかります。産卵域の環境の変動がクロマグロの産卵生態に与える影響は測り知れません。そこで、本研究室では海洋環境の変動がマグロ類の行動・生殖にどのように影響をするのかを調査しています(写真5)。

 クロマグロの卵や仔魚に水温の変化はどのように影響するのでしょうか。飼育水温を産卵水温に比べ高く設定した場合と低く設定した場合とで飼育実験を行った結果、卵や仔魚の生残や正常な発達は高水温・低水温では阻害されることがわかりました。核酸比や酸素消費量、奇形率などの調査により、海水面の温度上昇はクロマグロの産卵に大きな影響を及ぼすことがわかってきました。

 また、クロマグロ稚仔魚の耳石を調査することにより、彼らの経験水温や海洋環境を推定しようという試みも行われています。耳石の酸素安定同位体比は彼らがさらされてきた海洋環境を克明に記録しています。産卵海域を耳石により判別できれば、太平洋に広く分布するクロマグロの個体群の変動や私たちが資源として利用しているクロマグロがどの産卵場由来のものかがわかります。私達が行っている研究は、今後クロマグロの資源量調査において非常に大きく貢献すると考えられます。

 さらに加えて、北太平洋のビンナガ(T. alalunga)に関して、成長段階別の回遊経路と回遊範囲、回遊に影響を与える環境要因を特定することに焦点を当て、産卵から成魚に至る分布の時空間構造とその変動機構についての研究を行いました。その結果、6才魚を境にして回遊経路が大きく異なり反時計回りの循環を形成すること、太平洋中央部に分布していた高齢魚がエルニーニョによって太平洋東部に移動することなどが分かっています(図4)。


写真5 クロマグロ仔魚 図4 エルニーニョがビンナガ魚獲に及ぼす影響


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